7.16.2018


今日に感謝して生きると書いたが、それは僕自身に向けた言葉だ。

僕は心配症で、いろんなことを思い悩んで暮らしている。経済的な不安とか、健康に関する不安とか、息子達の将来に関する不安とか。

ときどき、僕が独身だったら、と思う。僕が独身だったら、何も心配することはないだろう。僕が死のうと何だろうと、それによって困る人はいないからだ。僕が不安を持つのは、本当に大事なもの、家族があるからなのだ。

しかし一方で、将来に対する不安というものは、ある程度必要なものだとも思う。「不安を持つ」ということは、生物に備わったある種の機能だろう。

しかし将来に対して不安を持つことが避けられないのならば、今日一日過ぎ去った日に感謝し、それに対して幸福感を感じることも、生きることの当然の権利なのではないか。

今日を反芻する。そうして、そこから幸福や滋養を得る。

幸福というものは、未来への期待から得るものではなく、過去への回想から得られるものなのではないか。もちろん、これは僕にとってということだけれど。

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