2017/11/17

WOYTON


僕の幸せの閾値が、どんどん低くなってきている、というべきか、僕の幸せにとって、本当に大事なものが何か分かってきた、というべきか。

今日、下の息子(1)を抱っこしていたのだけれど、ただ息子を抱っこしているだけで、本当に、間違いなく、幸福だった。

家族が健康で仲が良ければ、それが僕の最高の幸せである。それが僕の自己実現である。

なにかこう書くと「守りに入った」ということをいう人間がいる。別に僕は「守りに入った」と言われても全然どうでもいい。なぜなら僕は確信をもって、僕の人生の幸福はまず第一に妻と子供たちであり、第二に友人や知人との良き人間関係である、といえるからである。

お金や地位や権力や名誉をもっと追及すべきだ、もっと攻めるべきだ、と思う人はそうすればいい。僕の信条としては、そういう生き方は徒労に終わる、と思うが、かといって「攻める」人たちに対して「それでは幸福にはなれない」と決していえないだろう。それはその人たちの価値観だからだ。

ここは僕のブログだから、僕の幸福に対する考えを開陳しても許されるだろう。

家族が衣食住困ることなく、基本的な教育や医療や文化や娯楽を受けられるだけの経済力があれば、それで十分である。ブランド物や高級車なんて、全然必要ない。何の意味もないとまでは言わないが、まったく重要じゃない。

人間関係が、幸福に関するほとんどすべてだ、と思い始めている。

多くの人は、お金や地位や権力があればあるほど幸福になれる、という量的モデルで考えているように思える。たとえばビルゲイツやウォーレン・バフェットがその量的モデルにおいては頂点にいて、収入や地位や権力が下がるほど、どんどん幸福でなくなるという、幸福を数値化した人生観である。

たぶんそれは正しくない。

幸福を数量モデルで捉えることが、そもそもの間違いだ。人間を幸福にするのはほとんど人間関係だけだ。つまり「関係性」モデルである。

しかし、どのような人間とも「良い」関係を築くべきだとは全く思わない。その点については長くなってきたので、また別の日に書くこととしたい。「逃げること」についてである。