2017/10/12

Spaziergang und Idee


病について、ずっと考えている。

生老病死、と仏教ではいう。生きるものはかならず、老いて、病を得て、死ぬということである。

そうであるならば、老いることも、病を得ることも、人生における階段だ。

このように考えるのは、観念的な嫌いがする、と思わないでもない。しかし、観念的であれどうであれ、これは認めるほかない真実ではないか。

生老病死は真実である、そうであるならば、繰り返しになるが、老いて病を得て死んでも、必ずしもそれは悪ではない。それは、自然な過程なのだ。

老・病・死を悪と捉えるならば、人間の生は最初から悪を包含し、究極的に悪に向かう存在ということになる。

ところで自分は、キリスト教徒やイスラム教徒ではなく、本質的に仏教的な考えを持っているのかもしれない、とときどき思う。

「天国」というものを想像できないのだ。老いることも、病むことも、死ぬこともない永遠の世界。そのような世界を宗教は描く。

しかしそのような世界観の根本には、やはり老いること、病むこと、死ぬことを「悪」と捉える姿勢があるのではないだろうか。

そういうシリアスなことを、秋の公園を散歩しながら考えた。陳腐だけれど、枯葉がひらひらと落ちていくのをみて、そうだ、生老病死なのだ、と思ったのである。

木々の葉が、枯れ、落ちて腐り、また土に還る。これは極めて自然なことだ。僕の存在もまた、人間という大きな樹の、あるいはもっと大きな自然の、一枚の葉っぱのようなものではないか。