2017年10月11日

Mein Spaziergang


やはり歩くことはいい。

健康のために散歩をすることはいいが、僕にとっては、散歩は健康を維持する手段以上のものだ。

お供にはライカM8をもっていった。

散歩はいいものだ。手放しで素晴らしいものだと思う。チョコレートを食べるときの罪悪感がない。ビールを飲みすぎたときの後悔もない。お金もかからない。好きなときに、一人でできる。誰かと予定を合わせる必要もない。ただ、スニーカーを履いて外にいけばいい。

そして、ただ歩くだけなのだが、歩いているだけで、だんだんと頭の中の、あるいはこころの中のもやもやが整理されていく。

今日、散歩に行くと妻に伝えたたら「おじいちゃんみたいね、何もすることがないから散歩するのね」といわれたのだが、僕はおじいちゃんになっても、まさしくそういう生活をしたい。

ともかく、毎日散歩に出かけるのだ。晴れの日も、雨の日も、雪の日も。毎日、ほとんど同じコースを歩く。30分か、ながければ1時間くらい。そうして戻ってくる。

何が行われるわけでもない。何も起こらない。

ただ、今日の天気はいいな、とか、冬になってきたな、とか、そういう小さな移り変わりを見て暮らすのだ。というか、人生とはそういうものだ、とすら思うのである。

そしてその移り変わりを、気が向けば写真に撮る。だからライカは、散歩のお供なのだ。別に優れたスナップ写真を撮ろうとか、写真展に出すような写真を撮るわけではない。ほんとうに、ただの散歩のお供なのだ。

そういう写真があってもいい。散歩のお供としての写真、散歩のお供としてのライカ。

最近M8を使っていなかったけれど、ここにきて、やはり相棒として再認識した次第である。

そして「歩くこと」と同じくらい、僕の人生の核だ、と認識しつつあるのが、「書くこと」だ。これについてはまた別に書きたい。