2017年10月29日


ここ1年に起こった、日本企業の不祥事やら、色々な「あたふたぶり」を見るにつけ、だいぶ「メイドイン・ジャパン」の信頼は墜ちてきているのかもしれない。しかしそれでもなお、僕は「メイドイン・ジャパン」を信頼している。

一方、少なくとも日用の雑貨や文房具に関しては、僕はもはや「メイドイン・ジャーマニー」を信頼していない。

ラミーのサファリは好きだし、愛用しているし、品質もまあ問題ない。しかし日本製ほどの高品質ではないな、と使っていて思う。この「使っていて」というのが重要である。

たしかによい製品ではある。何よりもデザインがいい。しかし、万年筆のサイトで「初心者にお勧めの」とか「プレゼントに最適な」万年筆として紹介されるほどよいかというと、疑問である。

どこが悪いのかというと、ちょっと、口では説明しずらい。使ってみないとわからない、細かいところなのである。

もっとも一万円もしない製品なので、そんなに物としての作りこみは求められていないのかもしれない。しかし2~3千円の価格相応の品質があるかというと、多いに疑問である。

仮に日本企業が、2~3千円の万年筆を作ったら、はるかに高品質のそれができるだろう。

そこで、その「細かいところ」なのだが、たぶんドイツ人は使っていて気にならないだろう。ドイツ人が聞いたら怒るかもしれないが、言ってしまうと、ドイツ人は細かいところが見えない(逆に日本人は細かいところしか見えなくて、大きなものが見えない)。

でも、僕は気になる。しかしだからといって、じゃあサファリをやめて他の万年筆にするか、といえば、したくない。いや、するかもしれない。今度日本に帰ったら、日本製の万年筆を探してみようか、という気になっている。

ここまで暴論気味であるが、ここからさらに暴論である。

あくまで僕の個人的な経験というか主観だけれど、一般的にいってヨーロッパの工業製品は、センスがよく、オシャレで、デザインがよくて、一言でいえば魅力的である。でも品質がよくない。よくないといえば言いすぎか。保証されていない、と言おう。

いうなれば、すぐ故障するイタリア製の車である。故障するくせに高価である。高価であるから品質が保証されているかというと、されていないのである。ヨーロッパでは「価格」は「魅力」と比例するものであって「品質」とは相関関係にない。

一方日本製はというと、日本製でデザインのいいもの、というかはっきり言えば「魅力的なもの」は少ない気がする。文房具もクルマもダサい。だけど品質はいい。日本においては「価格」と「品質」は比例する(安くても高品質だが)。「魅力」とは相関関係にない。高価格で高品質だが魅力のない日本製品、というのは多く存在する。

なんだか、そのまま国民性が製品に反映されているような気がする。こう言ってしまうのは暴論だとわかっているし、政治的に正しくないとも思う。

もちろん個々の物というか人のレベルで見れば、違うかもしれない。しかし工業製品というものは集団が生み出すものだから、集団の属性が如実に現れる、と思うのだ。

毎度毎度、僕はものごとを結婚に喩えてしまうのだが、物を買って使用し続ける、ということは結婚に似ている。

日本人は、じゃなかった、日本製の製品は、夢がない。品質はいいのだが、夢がないのだ。欧州の製品は、夢があるが、なんだか、実直でない。

すごく魅力的な男性と付き合って、あなたが結婚したとする。でも「付き合うのに最適な異性」と「結婚に最適な異性」は、多いに異なる。

ただ、物を買って所有して使い続けていくということも結婚と同じで、多少目を瞑る必要はあるのかもしれない。完璧な製品などないからだ。サファリもそれほどひどいわけではなく、まだ離婚にはいたっていない。そう、僕は我慢強いのだ。