2017年10月16日


家の近所に公園がある。かなりでかい公園で、広さを調べたことはないが、もしかすると新宿御苑ぐらい大きいかもしれない(追記:妻が調べたら、一回り小さかった)。

この公園は僕にとって、かなり重要な場所だ。僕がドイツに来て、いろいろと悩んだりしたときは、この公園を散歩して、この公園に癒された。

と、新宿御苑も好きな場所なのだが、今になって気が付いたのだが、僕が休日にしたい一番のことは、ゆっくりと公園を散歩することなのかもしれない。

今日は、この公園にいって、大きな木の下で、ノートにいろいろなことを書き連ねた。最近、体の不調があること。それについて思うこと。人生について思うこと。

日本語のいいところは、外国では誰も理解しないことだ。たとえば外国の公園で、日本語でいろいろと書いていて、仮に誰かが通り過ぎて、僕のノートをちらりと見やったとしても、何も理解できないだろう。仕事のことを書いているのか、プライベートのことを書いているのかもわからないだろう。

それはともかく、ひさしぶりに、ほんとうに豊かな時間を持った。頭にふつふつと湧いてくる言葉を、紙に書いていく、「書く」という行為は、ほんとうによいものだと思う。

僕は、というか人は、「書く」という行為のみによって、時間も、空間も、あるいはもっといえば「僕/私」という個も超えていくことができるのではないか、と思う。

物欲はほとんどなくなったが、ロイヒトトゥルムのノートはストックしておきたい。それに、サファリの万年筆。消費者は幸せになれない、と書いたけれど、ロイヒトトゥルムとサファリについては撤回しよう。この二つをもって公園にいけば、僕は幸福になれる。