10.14.2017


以前にも書いたが、もう、現像が面倒くさい。

というわけで、いわゆる「撮って出し」である。しかし、ブログに載せるだけなので、これで十分である。

「作品」を撮るために写真をやっているわけではない。ブログのタイトル通り、最近は「散歩すること」が主目的になっていて、写真を撮ることは、そのおまけのようなものなのだ。

かなり前だけど、2ちゃんねるを作ったひろゆき氏の本が、新聞の広告に載っていた。その本自体は読んでいないのだが、ひとこと「消費者は幸福になれない」とか、そのようなことが書いてあったと思う。

その通りだな、と思った。

しかしこのブログでは、何回も何回も、僕がいかにM8を愛しているかについて語っていて、それは消費じゃないのか、という指摘があるかもしれない。それはそのとおりなのだが、それでも、「消費者は幸福になれない」と思うのだ。

今、僕が生活の中で幸福を感じるのは、家族といるときや、公園を散歩して自然を感じるときや、何かを考えて書くときだ。

「家族といること」、「自然を感じること」、「何かを考えること」、これらは「消費」ではない。

たしかに、これらの時間にも、何等かの消費は行われている。家族と食事すれば、食品が消費されている。散歩にはM8を持ち出している。何かを書くとき、サファリを使っている。それは立派な消費だ。

しかしそれは幸福の本質ではない。きれいごとに聞こえるかもしれないが、本当にそう思う。別にライカでなくてもいいし、サファリでなくてもいいのだ。僕が考える「消費では人は幸福になれない」と考えるのは、そういう意味だ。

話がだいぶずれた。現像の話だった。

M8の撮って出しなので、はっきり言って、時代遅れである。しかし「クオリティーが低い」とは思わない。というか、このまったくシャープさのない、コントラストもない、古いレンズで撮ったモノクロ写真のような、こういう感じが好きなのだ。

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