2017/03/03

Dusseldorf


心安らかに安住の地のカメラで過ごせたらいいな、と書いた。

では安住の地のカメラとは何か?要するに、何も考えることなくずっとそれを使う、というカメラである。僕は冗談ではなく、M8は一生使おうと思っている。実際には、おそらく途中で壊れてしまうだろうし、修理もできなくなるだろう。添い遂げよう、と思っているのだ。

それでは、それはよほど完璧なカメラかというと、そんなことはない。というか完璧さを求めている限り、決して安息の地にはたどり着けない気がする。M8にも欠点はままある。

しかし安住を求めるのなら最後は自分が適応しなくてはならない。たとえばM8は高感度が弱いが、僕はM8のISOは動かさない。320で固定している。したがってこの感度で撮れないものは撮らないし、というか320あれば、大体のものは撮れるのだ。

こう書いていると、なにか結婚に似ている、という気がしないでもない。

重要なのは、8割がたそのカメラに満足ならば、それ以上求めないことだ。完璧を求めないこと。完璧を求めること、これは恐ろしいコストを生む。

しかしこういっている僕も、X1は売ってしまった。要するにX1には満足できなかったわけである。しかし繰り返し書くが、非常に惜しいカメラだった。撮れる「絵」も非常に好きだっただけに、残念である。

M8は、今でも使っている人がたくさんいると聞く。敬愛する写真家のセイケトミオさんのブログにそう書いてある。セイケさん自体、M8を愛用している。いわく、M10もM8も、A2くらいまでの印刷なら差はないそうである。ところでこういうことを正直に言ってしまえるところも、セイケさんの好きなところである。

いろいろ書いたが、要するにM8ラブである。

Leica M8 / Summicron 50mm