12.07.2017


前回、こんな記事を書いていたら、今日の朝日新聞に「「いいね」のために」という特集記事あった。

インスタグラムで「いいね!」をもらうために(僕はインスタグラムをやっていないので、インスタグラムでも「いいね」なのかわからないが)、つまり承認を得るために写真をアップするような行為は、やりたい人はやればいいが、僕はそれには批判的だ。空しい行為だと思う。

しかし前回も書いたように、僕自身も20代のころにフェイスブックでそれをやっていたのだから、偉そうなことは言えない。ただ確実にいえるのは、年をとってそんな「承認」がどうでもよくなったことだ(年を取ることの利点のひとつだ)。

前回書いた「東大パーティー」の凄い肩書の人たちの中には、銀行員や官僚もいて、彼らのフェイスブックを見ると凄まじいことになっているわけである。最終学歴がイェールとかハーバードとかで、タイムラインを見ると海外出張でワシントンとかパリに行ったりしている。友達は300人くらいいて、しかもインターナショナルである。なんというか、他者を圧倒するようなページなのだ。

いや、書いていてどうでもよくなった、やめよう。でも20代の頃って、社会に出て、他者ともはや較べようもないほどの差をつけられてしまうわけである。随分劣等感に苛まされるわけである。

今の若い人は、かわいそうだな、と思う。当人たちがどう思っているか分からないけれど。僕が大学の頃は、せいぜいがガラケーだったので、SNSに縛り付けられるなんてことはなかった。僕はそのガラケーすら持っていなかった。

はっきり言えば、僕はあまり日本の社会にも会社にも溶け込めていない気がする。それは僕が高校から大学にかけて、ほとんど友人も作らず、携帯も持たず、本ばかり読んでいたことと、今思えば大いに関係がある気がする。

日本的人間関係の「キソ」を積んでいないのだ。「上を立てる」とか「気をつかう」とか「間を読む」とか。そういう基礎的訓練を、普通の人は高校から大学くらいにかけて無意識的に積むのだが、僕はそれが、完全にとはいかずとも、ほとんどまるっと欠けている。

だから僕は就職したころ(今でもときどきそうだが)、 上司や先輩に「気の使い方がなってない」とか「マイペースすぎる」とか「自己中心的だ」とか、何度も何度も説教されてきた。しかし、思うに僕の本質的な性格や性質がそれによって矯正されたかといえば、まったく矯正されていない。

もっとも今や新人でもないし、上司というか回りの人間も、おそらく諦めているのだろう。「そういうやつ」と認定されてしまった。

いいねの話から大分ずれた。

みんな自分の好きなようにすればいいじゃないか、というのが僕の本音だ。どうして他人のグラスにビールを注がなきゃいけない?飲みたければ自分で注げばいいじゃないか。

たしかに僕は気が利かない人間かもしれない。しかし僕は他人に対して「気をつかえ」と要求することもしない。

「もっと先輩を敬え」とか「もっと気の配れる人間になれ」とか、さらにいえば「お前のために言っているんだぞ」などという反吐の出るような「説教」を、僕は部下や後輩にしない。

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