2017/11/05

The things you own, end up owning you


モノと良好な関係を築くのは難しい。

ラミーのサファリが気に入って、現在4本まで購入した。

「万年筆道」なるものがあるとすれば、僕はその道の始まりについたに過ぎないわけだが、あまりこの「道」は深入りしないほうがいいな、と思う。これ以上買ってもしょうがない。

だって5本も6本もあったって、使いきれないからである。

万年筆はその構造上、常に使用してやることが望ましい。そうすると、すでに4本もあるサファリのローテーションを組むだけで、精いっぱいなわけである。

カメラも同じだ。もう3体もある。M8、X2、GR。レンズも同じである。どこかのカメラ雑誌で、レンズを10本だか20本だか所有している人を見たが、そんなに持っていてもしょうがない。

私見によれば、機材が多くなればなるほど、下手になる。下手になるというのが言いすぎならば、機材を実際に使用することから遠ざかる、というべきか。関心が、使用ではなく所有にシフトする。

しかしそれでも、人は新しい機材を買ってしまう。なぜか?簡単だからである。お金を払って物を買う、ということは実に簡単である。

別にそれで経済が回るんだからいいじゃないか、という意見もあるかもしれない。たしかにそうかもしれない。

ところでお金持ちであることの数少ない欠点のひとつは「いくらでもモノが買える」ことだと思う。

より正確にいえば「買えない」ことを我慢するのは簡単だが「買えるけど買わない」ことを我慢するのは難しいということであり、お金持ちは後者に陥る、ということだ。

レンズをコレクションしたければすればいいけど、それは「写真を撮る」ということとは、まったく別の行為である。「撮る」という観点からすればレンズなんて2・3本でいい。

日本のおじさんの悪しき風習だが、どうも彼らは「高価な機材を持っているほうがエラい」みたいに思っている。「モンブランを使っているから自分のほうが分かっている」とか「ライカを使っているから自分のほうが分かっている」とか、そういう類の空想である。

はっきり言えば、それは書くことや撮ることの本質と関係がない。高いお金で幻想を買っているだけだ。いや、人間は幻想にこそ高いお金を払う、というべきか。

かように「モノ」というものは、購入、所有、使用、はては幻想にいたるまで、深い意味と機能を持っている。

だから「モノと付き合う」ということは難しく、奥が深く、ただ単にカネを持っていればいいという問題ではないのだ。

『ファイト・クラブ』という、エドワード・ノートンとブラッド・ピットが主演する映画がある。資本主義とマテリアリズムに対する強烈な批判が込められた映画だが、こういうセリフがある。ピットがノートンに言う。

The things you own, end up owning you.

僕が見たバージョンでは、字幕は「お前はモノに支配されてる」だった。これはなかなか深く、本質を衝いた訳だ。直訳すれば「お前が所有するものが、最後にはお前を所有する」という、なんともこなれない日本語になるわけで、やはり「お前はモノに支配されてる」が簡潔でいい。