11.21.2017


先日の朝日新聞に面白い記事があった。朝日新聞というかエマニュエル・トッドの指摘なのだが、日本は国力よりも「自分」を選んだ国である、というのだ。

トッドは人口動態学者だが、彼によれば、人口減少を受けれ入れる国というのはもはや国力を追及していないのである。

ドイツも出生率は日本と同じくらい低いが、人口はここ数十年、わずかではあるが増え続けている。すなわち外国から移民を受け入れているということである。この傾向は1970年頃から続いている。ドイツは1970年ぐらいから出生率の減少による人口減少に対し「門戸開放政策」を取っていたということになる。

興味深いことに日本の出生率も1970年代中頃に2.00を下回ったが、日本は全く移民政策を取らなかったし、今も取っていない。おそらく、これからも取らないだろう。まったく、俎上にすら上っていない。

しかし朝日のタイトルは面白いと思った。日本は国力よりも「自分」(であること)を選んだ、というのである。なるほど。

僕は今ドイツに住んでいるので実感するところがあるのだが、ヨーロッパは「自分」を少しずつ失っている。あるいは失っている、と感じている。

知人にドイツ人(A)がいる。かなり礼儀正しく、穏やかな人である。一緒に二度か三度、食事に行ったことがある。Aはデュッセルドルフ育ちなのだが、Aによればデュッセルドルフには自分が生まれたときから日本人がたくさんいた。日本人は礼儀正しく秩序を守るので、Aは日本人に好印象を持っていた。

ある日Aと昼食を共にしたところ、ドイツにおける移民の話になった。Aによれば、ある国からの国民は、日本に較べれば「bastards(糞野郎)」なのであった。

僕は温厚なAが「bastards」などという強烈な表現を使ったのに驚き、思わず「Excuse me?」と聞き返してしまった。

「You heard me. Bastards, moron, idiots, whatever!」

というのがAの返答であった。これには驚いた。

僕は「ヨーロッパのイスラム化」自体は、価値評価しない。それはドイツなりフランスなりの政策選択の結果だからだ。しかし政策決定に直接関与できない人々、普通のドイツ人なりフランス人なりにすれば、不安や苛立ちを感じる人は少なからずいるだろう。

以前にも書いたことと関連しているが、欧州は疲れている。それは自然なことだ、と思う。国力の追求の陰に、不安や憎悪や差別が渦巻いている。

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