8.05.2017

Tokyo


「これほどの災難に取り囲まれていても、彼は幸せになりたい。幸せにしかなりたくない。幸せでなくてもよいとは考えられない。だがそのためにどうするのか。うまくやるには、不死にならなければなるまい。でもそれは無理な相談なので、それから目をそらすことを思いついた。」

パスカル『パンセ』より。

先日の記事の続きである。パスカルの人生観は底が抜けていると思う。人は幸福にはなれない、といっているのである。そこから彼は神へと飛躍するわけだが、僕は、神の存在については懐疑的である。

ずいぶん暗い、と思われるかもしれないが、これが僕の人生観である。

そこで「書く」ということについて再び書きたい。万年筆に最近嵌っている、と書いたが、その「嵌り」は進行中である。知人のドイツ人に日本のインク(色雫)をプレゼントしたところ、かわりにペリカンのインクをいただいた。その日のうちに、僕はコンバーターを買った。こうして人は文房具に嵌っていくのだろう。

ドイツ語を勉強するのに万年筆を使っているのだが、というよりも万年筆で書くためにドイツ語を勉強している、というほうが正確かもしれない。

別に日記を書いてもいいのだが、日記を書くにはいろいろと文章を考えなければならない。文を捻りださなければならない。しかしその点、翻訳はいい。自分で文を考えなくていいからだ。

やはりこれは写経に似ている、と思う。こころを落ち着かせるために、万年筆で書く。聖務日課のように。

ところで「万年筆」という語感自体は嫌いだ。英語の「Fountain pen」のほうが好きである。

0 件のコメント:

コメントを投稿