8.16.2017

Roermond


どこに書いてあったのかは忘れたが、人が恐れる問題は三つあって、それは病気や死などの健康問題と、お金の問題と、人生の無意味さ、ということであった。

なるほど。しかし、この三つの問題のうち、人間に少しでも勝利の可能性があるものは、お金の問題しかないな、と思う。

友人に経営者がいる。彼は、三つくらいの事業を同時に進行している。学生の頃から、彼の行動力には感嘆してきたが、今でも驚かされる。一方僕はといえば、経営者にはとてもなれそうにない。人は、なれるものにしかなれないのだ。僕は経営者にはとてもなれないし、政治家はさらに無理だ

それらになるには、よほどの本気度が必要だ。しかし僕は、心の奥底で、政治も経済もどうでもいいと思っている。無意味だ、と思っているのである。本当は、無意味なはずはない。それは多くの人々の人生を、悲惨から救うはずだからだ。

しかし悲惨さと虚しさは区別しなければならない。虚しくあることは、悲惨であることよりもよい。

前置きが長くなった。ウディ・アレンによれば、人生は、悲惨なそれと惨めなそれの二つに分けられる。

"I feel that life is divided into the horrible and the miserable. The horrible are like, I don’t know, terminal cases, you know, and blind people, crippled. I don’t know how they get through life. It’s amazing to me.
And the miserable is everyone else. So you should be thankful that you’re miserable, because that’s very lucky, to be miserable."

拙訳:「私は、生というものは悲惨なそれと、惨めなそれの二つに分けられると思う。悲惨な人生というのは、そうだな、末期癌とか、目が見えないとか、手足がないとか、そういう生だ。彼らがどうやって生きているのか、私にはわからない。すごいことだと思う。惨めな生っていうのは、その他すべての人間の生だ。だから、自分の生が悲惨でないなら感謝すべきだし、実際、惨めであるということは、幸運なことなんだ」

アレンはこう言ったらしい。彼が本当にこう言ったかわからないが、僕はこの言葉に完全に同意する。「惨め」という言葉に関しては、「空しい」とか「虚しい」と僕は表現するけれど。そして、惨めであることはラッキーであるというのも、ポイントだ。悲惨であるよりは良いし、それは僥倖である、とも感じる。

写真は、オランダのあるショッピング・モールの写真だけれど、ショッピング・モールで休日を過ごすということはまさしく惨めだと思うし、ショッピング・モールで買い物ができるというのも、まさしくラッキーなことだと思うのである。