3.16.2017

Dusseldorf


ドイツ人の作り出したものが好きだ。ライカも好きだし、ラミーも好きだ。ポルシェも美しい(買ったことないけど)。

音楽についてこのブログで書いたことがないが、バッハが好きだ。もっと正確にいうとグールドのバッハが好きだ。フルニエの無伴奏チェロ組曲も好きだ。

こう書くとスカしているというかスノッブに聞こえるかもしれないが、好きなのだ。飽きがこない。大学生のころ友人に紹介されて聴き始めたが、もう20年近く聴いている。それでも飽きない。

しかし僕自身がドイツ的あるいはドイツ人的であるとは全く思わない。

言いたいのは、その人の国籍なり人種と文化的傾倒には、本質的な繋がりはないということだ。たぶん一般的ドイツ人は、あまりバッハないしクラシックを聴かないんじゃないか。

簡単にいうとその人の外見と本質は関係がない。

知人のドイツ人に黒澤にぞっこんの人がいる。黒澤のほとんどの映画をDVDで所有している。彼は普通のドイツ人だが、ともかく黒澤が好きだ。ほとんど崇拝しているといっていい。

僕はといえば、正直なところ黒澤の映画をほとんど見たことがないし、良さもよくわからない。しかしそれでいいと思う。日本人であるというだけで、僕は日本文化を理解しなければならないのか?そうは思わない。

好きな音楽を聴いて、好きな映画を観ればいい。クロサワに心を奪われたドイツ人がいて、バッハに心を奪われた日本人がいても、まったくおかしくない。

0 件のコメント:

コメントを投稿